Colume No.030/2010.07 [バトゥ マンガン]
2010年7月3日、ティモール島のソエ到着。
7月だというのに、夕方から激しい雨が降る。
「今年はお天気が変で、3、4月に降らなかった雨が今頃になって降ってくる」と誰もが口にする。
南半球のティモールでは、11月から4月までの雨季の間が農繁期になる。今年は雨量が極端に少なく、主食のトウモロコシの収穫は例年の4分の1ほどだという。村の生活のどれほど厳しいことだろう。
それと関係してか、あちこちでバトゥ マンガン(マンガン石)の話しを聞く、乾電池や鉄鋼の材料になるマンガンを掘り起こして集めると、1キロ10円で買い取ってくれるそうだ。
そしてこの石は「雨を呼ぶ石」と云われている。
大地を掘り起こして地表に放り出されたバトゥ マンガンが雨を呼んでいると・・・・。





Colume No.029/2010.07 [スピンドル]

ティモールのスピンドルで木綿を紡がれている方から、
「スピンドルの先が磨り減ってくると、 自分で削ったりしていますが、それで大丈夫ですよね?」とメールをいただいた。
自分では糸を紡がないわたしは、
スピンドルの先が摩滅するほど糸を紡ぐということと、
スピンドルの先を削るという発想にビックリし、感動した。

持ち帰ったティモールのスピンドルを並べてみる。
長いの短いの、太いの細いの、先の尖ったのに丸いのと、
道具としては一本の棒でしかないのに、
そのカタチはすべて違う。
そして、短いスピンドルは最初から短いのではなく、
削って短くなった可能性もでてきたし、
先の丸いスピンドルはそろそろ削り時で、
尖ったモノは削りたて。

スピンドルを回して糸を紡げば紡ぐほど、スピンドルはどんどんどんどん摩滅し、
鉛筆のようにちびてゆく。まるで身を削って糸を生み出しているよう。

100人の紡ぎ手がいれば、100本のカタチのスピンドルがある。
今度、ちびたスピンドルを探してみよう。



Colume No.028/2010.06 [輪の布]


織物は基本的に経糸と緯糸を垂直に交差することで
面を組織してゆく。
織りのための道具は腰機・地機・枠機・高機と
国や民族によってさまざまな形がある。
インドネシアの島々では伝統的に腰機で行われ、、
経糸の一方を織女の腰に掛け、
身体のテンションで経糸を調整し織ってゆく。
このときの経糸は輪状・螺旋状に整経され、
クルクルと回しながら織られてゆくので、
織り上がって機から降ろした布は、
四角い一枚の布ではなく、丸い一枚の布になる。
ティモールでは全部織上げ、
両サイドを縫い合わせた穀物袋もある。
また経糸を織り残し、その部分を切り開くと
一枚の四角い布となるのだが、
平整経で織られた布には生じない
輪の布を切り開かなくてはならないという工程が加わる。
そして糸の無駄はない。。

繋がっているものを切断したり、輪を切り開くことは勇気がいる。
表面的な変化だけではなく、どちらかというとプラスではなくマイナスのイメージが漂う。
輪状整経で織る民族の中には、輪の状態の布を神の布、神聖な布と考え、祭事や儀礼に用い、
切り開いた布を人の手に降りてきた布と考える民族もある。
どのような方法でモノ創り出すかによって、モノと人の関係も変わり、
そこにひとつの思想も生まれる。



Colume No.027/2010.06 [南緯10〜15度]

日本の世界地図を見ると、
日本が真ん中で右に太平洋がぐるりと渦まき、
左にユーラシア大陸が拡がる。
他の国で世界地図を見ると、
日本は右端か左端に浮かぶ小さな島。
どこを中心に見て考える?世界地図ひとつでも随分違う。
いつも眺めてる緑の星しるしでマーキングした布マップ。
世界はなんて広く、多様なことであろう。

わたしの中のキーワードのひとつに“モンゴロイド”がある。
北の道はベーリング海峡を渡り新大陸へと、
もうひとつの道はインドシナj半島を南下し太平洋を渡る
海の道。
環太平洋地帯に残る足跡は、
何かに突き動かされ進んだ勇敢な旅。

インドネシアのティモール島から太平洋をまっすぐ東に横断すると
ペルー、ボリビア、ブラジルがあり、西に向かうとマダガスカル、マラウイ、タンザニア、
サンビア、アンゴラがある。
西のライン、マダガスカルはアジアの文化圏に属するという。
それ以外は国の情勢を考えると旅は難しく、キーワードのモンゴロイドからも外れる。
東にのびるペルー、ボリビアのラインは染織文化を考えるときインドと並んで重要な場所。
そして彼らは間違えなく“海を渡ったモンゴロイド”たちだ。

布は人間と同じように、すべて同じですべて違う。
近くにはない答えに遠くで出会うこともある。
身体も頭も柔軟に、色々なキーワードから布を探ってみる。
南緯10〜15度の旅。


Colume No.026/2010.04 [モヨウ]


モヨウを纏うとはどんなことだろう?
その始まりはイレズミであったと考えるのは比較的
容易なこと。
皮膚に刻むイレズミは2度と消すことができず、
モヨウは痛みの経験とともに記憶される。
そしてイレズミから第2の皮膚である布にモヨウが
応用される。
こうして布に描かれたモヨウを纏うようになる。

モヨウは何かをカタチに変えたもので、
そのカタチは民族や表現者の世界観や
精神性が映し出されている。
人間の外に果てしなく拡がる空間をどのように
捉えるか、
また人間の内に深く沈み込む無限の領域をどのように
収めるか、
モヨウを生み出すことはモノに名前を付けて行くことと
同じように世界を認知してゆくことにつながっていく。

ティモール島の鶏文は、“鶏が毎朝太陽を呼んでくれる”と考えていたティモール人から生まれたモヨウで、鶏が鳴かなければ陽は昇らないという鶏の働きに対する感謝もある。
生命樹・植物文・渦巻文・・・・世界中の文様を眺めて見るのは楽しい。
古代の人々のビジョンには、現代では隠されてしまった大切な秘密が潜んでいる。

モヨウはただただ視覚的な効果や美しさ、華やかさを強調するものとし、“シンプル”なモノと対峙するとなんだか肩身が狭くなっている感じもある。
モヨウはモヨウ本来の意味を失い、表面的に移ろう無意味さだけがとり残されているから。
本物のモヨウに会いに行こう・・・。
人はなぜモヨウを刻み纏ったのか?とても大切なことのように思える。


Colume No.025 /2010.02 [土偶展ーTHE POWER OF DOGU−]


東京国立博物館 土偶展図録表紙

東京国立博物館で2月21日まで開催していた「土偶展」。
ヒトガタ・ひとがた・人型の土偶が光を放ち並んでいた。
土偶はすべてが祭祀具でそのほとんどは女性を
かたどっていると云われている。
顔の表情やカタチもさることながら、身体に施された点、
ジグザグ、グルグル、グリット等の幾何学な装飾は観察者を刻みのラインへと誘い込む。
このモチーフはどこから発生したのだろう。
縄を転がしてたまたま付いた文様がよかっただけの出来事なのだろうか。
ほかの押型文、沈線文、竹管文のさまざまな技術を見てゆくと偶然だとは思えない。
そして土偶に印された文様はそのまま縄文人のイレズミの手がかりになる。
彼・彼女たちはタトゥーを纏っていた。

文様とは平面に人為的にあらわされた模様のことを示し、イレズミも皮膚に直接描かれた文様になる。
文様とは一帯何なのだろうか?魔よけや自然崇拝、コミュ二ティーや階級を示すものとして、
または痛みを伴うイレズミはパワーや通過儀礼の役割も果たすと考えられている。
だがこれらは文様の意味を計るもので、文様自体のモデルはどこにあるのだろう。
自然の中にその答えはあるのだろうか?空・雲・星・海・波・砂・石、炎、骨の形や動物の足跡・・・。
人間の外部で起きる特殊な現象やカタチに神の存在を見たのだろうか?

民族の布を追っていると、時代も違い場所も離れているのに驚くほど似ている文様がある。
もちろん長い歴史のなかでの人やモノの移動により伝わり影響を受けたりもしているだろうし、
たて糸とよこ糸で表現する織物の組織的な制約が関係するのも確かなこと。
そしてそれぞれの土地で人々の織りの姿を見ると、思いや心が一緒に織り込まれている。

ヒトガタの祭祀具に刻まれた文様は、
人間の内部にある祈りと自然のなかの神が接触した痕跡かも知れない。
文様には見えない魂のコードが隠されている。



Colume No.024/2010.01 [櫛]
ティモール島のハライカと呼ばれる原始宗教に基ずく儀礼に子供の断髪式がある。
髪は自力では制御不可能なもので、魂の安定しない子供のうちは髪から魔物が入り込むと信じられいる。
村の労力になる年齢に達した頃、女の子であれば一人で織ができるようになる10歳前後には髪は伸ばされ、今度は女として2度と切ることはない。
また、男たちも髪を伸ばし櫛を挿していた。それは既婚の印でもあった。

ティモールのなかだけでも、さまざまな形状の櫛に出会う。
東ティモールとの国境付近に住むテトゥン人の上部に文様が刻まれ、長い歯がまっすぐに伸びるまるで掌のような縦長の竪櫛や、ティモール島山間部アマヌバン、アマナトゥン地方に住むアトニ人の水牛の角の曲線を上手く利用して歯を削りだし、角の先端の空洞ではない部分を面とした美しいラインは、素材の持ち味を最高に引き出している。これも縦長の竪櫛。
そのほかに横櫛もあり、竪櫛と横櫛はアトニの言葉では呼び分けられている。
別々の名前を持つということは同じでは都合が悪く、これは氏族をあらわす証明にもなっていたそうだ。

日本の櫛の歴史は縄文時代に始まり、古墳時代までは男女ともに竪櫛を用いていた。
奈良時代以降は外来の横櫛の影響で横櫛が主流になってゆく。
ティモールの竪櫛と横櫛の違いも外来の影響と関係あるのかも知れない。

わたしの髪も水牛の竪櫛でいつも頭の後ろでまとめている。
このお気りの櫛を2度ティモール島でなくしたことがある。
ともに道の途中で・・・気づいたときにはすでになくなっていた。モノをなくすのはとても悲しい。
特に使い慣れた櫛は、長い髪をクルクルと丸めて挿すだけで簡単に髪を納めてくれる。
「古事記」の中に、黄泉の国から逃げ出すイザナギが髪に挿した櫛を抜いて投げることで、
イザナミの追ってから逃げのびるくだりがある。
わたしのなくした櫛も、何かの危険を回避するためにわたしの後ろの道をふさいでくれ、
なくしたことで何事もなく無事帰路に付けたのかも知れない。
持ちモノや身に付けたモノが身を守ってくれる感覚は、旅をしているとよく感じる。

髪に力が宿るように、その髪を納める櫛にも神秘の力は宿る。


Colume No.023/2008.11 [治療師(ムナネ)]

アヨトゥパスの市の帰りに立ち寄ったキヨスクで、
ティモール島の伝統的な治療についての興味深い話を聞いた。
その男は4頭の牛を飼っていて、そのうちの1頭が足を滑らし右後足を骨折してしまったという。
男はムナネと呼ばれる村の治療師のところに連れて行き見てもらった。
ムナネは折れた箇所に薬草を付け、木で動かないよう固定し処置をしてくれた、
今では牛の足はすっかり良くなったと。
ムナネは動物だけではなく人間も治療する。畑仕事で怪我や骨折したときは村のムナネのところへ行く。
村のムナネでは手に負えないときはもっと力のある、ベルに住むムナネのところへ行く。
ベルのムナネは複雑に骨折しているところをもっと砕いて施術をすると。

町に帰ってきてムエルにムナネのことを聞いて見ると、
町の病院は悪いところをすぐ切り落としてしまい、そうすると仕事が出来なくなるから・・・。
僕もちょっとした怪我なら今でも出身の村のムナネのところに行くよ、でも砕かれるのは僕には怖いよ。
きっと山奥に住んでる人たちはまだそうしているのかも知れないけど・・・・。

ムナネのことをもっと知りたいとアチコチで聞いてみるのだけど、人々の口は重たく話しをしたがらない。


Colume No.022/2008.11 [人型文]

ティモール島・アトニ族の人型文。この文様をダワン語でアトニと呼ぶ。
一つ目で、耳が大きく垂れ、手足の歪んだ形がどうして人なのか?
蛙とか猿に似ているような気もするけれど、布に描かれたこの文様を、
子供から大人まで誰に聞いても“アトニ”と言う。



何度か子供たちとお絵かき遊びをしたことがある。
人型文のような想像的な形が子供たちの中に眠っていて
それを紙に表現することが出来るのではないかと。
白い紙と色鉛筆で子供たちは描いた。
それは花、木、鶏、机、学校・・・・・など
日常生活のなかで目にするもので、
人型文へと繋がる道は開かれはしなかった。

これら人型文を含む文様は、彼らの祖先が捉えていた
世界観を印すものなのだろう?
人と蛙、蛙と猿、猿と人・・・人がまだ自然の一部であると考えられ、切り離されることなくすべて結ばれていた時代のなごりが文様として継承されてきた。
書き残す文字を持たない民族の記憶の形として。

今では“アトニ”の人型を括れる女はいない。
文様は原始の記憶とともに人々から忘れ去られてゆく。


Colume No.021/2008.11 [祖母]〈200712)

10月には元気に織りをしていたアナスのお婆ちゃんが、12月に訪れた時には寝たきりになっていた。
「あの後すぐ、家の前のちょっとした段差で転倒して歩けなくなったの]
いつもみんなが行き来する家の中央の日当たりの良い部屋、
ビニールシートを敷いたベットの上で彼女は布に包まり寝ていた。
曾孫にあたるアナスの2歳の娘イヤナが近くで遊んでいる。
食事にトイレ、体を拭いたりと親戚・近所の人たちが交代で世話をしている。病院には行っていない。

やせた体にいつも手織りの腰衣を巻き、裸足でシャツキリと歩き、
顔に深い皺を寄せ、白く薄くなった長い髪を櫛でとく姿が印象的だった。
老人の美しさを持つ人は織物の妙手で尊敬されている。

お婆ちゃんは一体いくつになったのだろう?正確な生年月日は誰も知らない。
「多分、85歳から90歳ぐらいだと思う。今は生まれた時間まで役所で記入しなくてはならないけど、
お婆ちゃんの時代にはそんな必要はなかったから」とアナスは言う。


夜も交代で誰かが傍についている。
昼間は気持ちよさそうに寝ていたのに、
夜になると痛みからか、それとも寂しさからか、
一晩中泣き続け、時折思い出すように歌をうたう。
そしてそれをいたわる声が聞こえてくる。

「あとはみんなで死ぬのを待つだけなの」
アナスの言葉に優しさがある。

Colume No.020/2008.11 [ダウン ウンボ]〈200708)
「今日は寒いから、マンディ(水浴)のお湯を用意するね」
川から汲んできた水と裏山で集めた薪で、ティーは熱いお湯を沸かしてくれる。
お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、そして末っ子のティーとわたしのそれぞれに
バケツ一杯分のお湯。。
ティモールでお湯のマンディはとても贅沢なこと。

「熱いから水でわって使って」
ティーの母親が、家の前にある木の枝を折って持ってきてくれた。
「この葉を湯に付けて浴びるといい」と教えられる。
大きな桶に枝を入れ、湯と水を汲み合わせながら湯加減を調整する。湯気の中に木の香りを嗅ぐ。
髪と体をきちんと洗い終えれるように慎重に、そして“ありがとう”と呟く。
水汲みも、薪拾いも、そしてお湯を沸かすのも全部ティーの心。

「ね、お湯のマンディはすごく気持ちいいいでしょ」
[あの葉はなんと云うの?」
「ダウン ウンボ。寒い時、体が疲れているときはダウン ウンボのお湯が最高なの」
まるで内緒話を打ち明けてくれているみたいに、
ティーは自分の楽しいこと、嬉しいこと、好きなことをいつも分け与えてくれる。
「今度はいつティモールに来るの?必ず来てね、それはとても大切なことなの」


Colume No.019/2008.11 [遊び]〈200612〉
村の中央にある、丁寧に平石を積み上げた茅葺の建物。ひんやりとした石と、時折吹く風の心地よい感触。陽が傾きかけたころ、一緒に座り込んで遊んでいたセミや子供たちが、
先を争うように家畜の柵へと駆けてゆく。
なにが起こるのかと見ていると、地面に無造作に投げ出してあった木の棒をひろい、
くり貫きのある少し大きめの木を猛烈な勢いで叩き始める。
一定のリズムを刻むとかではなく、とにかく力の限り叩き、疲れると順番を待っていた子供と交代する。
音は夕暮れの時間を振動させ村中に響き渡る。風・土・木・・・すべてが歓喜しているよう。
リウに「なんの遊び」と聞くと、「朝、放牧に出した豚を柵に呼び戻しているの」
そばに駆け寄り木の株に足を掛け柵の中を覗くと、開いた扉から豚たちが次々に帰ってくる。
「毎日?」「毎日」「いつまで」「みんな戻ってくるまで」
子供たちは大喜びで木を叩き豚を呼んでいる。
「豚呼び遊び」

遊びと仕事の境界線はどこにあるのだろう?
これは大切な仕事で、
子供たちは村での共存のための、
重大な責任を果たしている。
遊びが仕事になり、仕事が遊びになる。
伝統的な村では建物の配置や空間、男女の仕事内容から、男と女の領域が守られている。
子供たちも村の一員として、
自分たちの場所をしっかり確保している。

子供たちは村で生きることを覚えてゆく。


Colume No.018/2008.11 [タブー]

「お婆ちゃんのところで織物を見せてもらおう」とアニスに誘われて家へ向かう。
道すがら、結婚していないこと、子供ものいないこと、そしてひとりで生活していることを知らされた。
ティモールで、それも町ではなく村落で暮らしている老人が結婚もせず
ひとりで暮らしているのは珍しい。
子供たちが独立して家を出てしまっていたり、ひとりでも同じ敷地に家族が住んでいることはよくあるけど。
アニスに疑問に思ったことを尋ねると、同一性障害の男性だと。

紹介されたお婆ちゃんは、伝統的な女性用の腰衣にブラウスを着用し、
薄くなった髪を後ろで結わえている。

今ではほとんど気にかけられることはないが、アトニ族の織物にかかわるタブーには、
糸紡ぎの中の紡錘やたて糸の掛かった機など、織りの仕事が継続している間は
男は道具に触れてはいけないと厳しく禁止され、触れると男性機能が失われると信じられていた。
母親たちは男の赤ちゃんが織りの道具に触れぬよういつも注意していたと。

お婆ちゃんは子供のころから織物に特別な興味を持ち、
いつも母や姉のそばで織りを覚えることをねだったそう。
家族はこの時から本人の望むように彼を彼女とし、女の仕事を教えた。

重たそうな南京錠の掛かった大きな木の箱を開けると、美しい織物、
すべて女性用の腰衣が贅沢なほどに、丁寧に納められている。
どの布にも惜しみない手仕事の痕跡がうかがえ、
伝統と彼女の中の織りの喜びが共鳴し、独創的な模様を生み出してもいる。

お婆ちゃんは腰衣を次から次えと着替えて楽しそうに披露してくれる。
アニスとわたしの観客2人だけのファッションショーが始まる。



Colume No.017/2008.11 [メオ]

Textiles of Southeast Asia より

     
ティモール島のアトニ族には“メオ”と呼ばれる
戦士たちがいた。
テタフ村のノネ集落には8人のメオがいたという。
勇者の印として王から贈られるオエフと呼ばれる銀冠を被り
[フィルボコ・腰飾り]、[フィルナカフ・頭飾り]、
[セク・首飾り]、[帯・フゥト]、腕、膝、足首飾りなど、
選ばれたもののみが纏うことのできる華麗な装飾織物は
家族の手により丹精込めて織られた。メオは美しかった。

ダワン語でメオは2つの意味を持つ。それは戦士と猫。
猫がいると家にネズミがいないように、
戦士がいると村に敵はいない。

1965年、テタフ村を含むソエ周辺のすべての人々を一気に
クリスチャン(この地域はプロテスタント)に改宗させた
大事件があった。
信徒たちはアラマタ教会近くの井戸水を汲み、
24時間の祈りを捧げ、その水を赤ワインに替える
奇跡を起こして見せた。

村人はこの出来事に恐れをなし、
土着の信仰を捨てクリスチャンになったと。
その時、メオ・戦士は野蛮なものと考えられ、
クリスチャンに改宗したという誓いのもと
衣装や武器はすべて焼き尽くされたと云う。
なかにこっそり隠し持っていた人もいたが、
戦士の力は喪失された。

ソエ周辺のクリスチャンはこの奇跡を今でも信じている。

Colume No.016/2008.11 [縞・島]

広辞苑で[縞・島]と引くと― 南洋諸島から渡来したものの意―とある。
縞文様は日本人の感情を真正面からではなく、炙り出すように誘惑する。
その[縞・島]が南洋諸島から渡来したものだった。
今度は南洋と調べてみると―太平洋中、赤道の南北に沿う海洋および島々―とある。
ポリネシア、ミクロネシア、メラネシアではタパ(樹皮布機)が発達し、
機織技術は限られた地域を除いてほとんど知られてないので、
この[縞・島]のものは同じ“ネシア(島々の意)”でもインドネシア周辺の可能性は高い。


バリ島儀礼用布・左    
サブ・ライジュア島儀礼用布・右
木綿絣の宝庫と言われているインドネシアの島々。
土着の信仰や異文化との接触から生まれた独自の文様には強烈な生命力が溢れている。
島々を歩いていると、民族的な伝統文様とは対照的な、
シンプルで明解で、それでいてニュアンスのある良い縞の布に出会う。
縞の布はどちらかといえば、特殊な位置づけにあることが多いと感じられる。
縞の布しか纏うことが許されない村、儀礼・儀式用、
共同体の布として織り継がれている村もある。

縞の直線的な要素は善と悪、生と死など、隣り合わせでありながら永遠に交わらない、
交えてはならないものを封じる魔力と結びつけても考えられる。
一方、中世ヨーロッパでは視覚を混乱する曖昧なものとし、縞は軽蔑的な地位を与えられていた。
縞は時代や民族によるさまざまな解釈を甘んじて受け入れてきた。

Colume No.015 /2008.11 [銀の緑蛇]



ティモールの伝統的な装身具に、古いオランダの銀貨から作った蛇のモチーフの腕輪がある。
前後に2つの頭を持つ蛇の腕輪は、男は片方の手首に、
女は両方の手首に死ぬまで巻きついている。
この腕輪をダワン語で“ニティ サオ”と呼び、ニティは銀、サオは緑の蛇のことを意味する。

「サオは目と尾の先が赤く、長さは腕ぐらい、太くても足の親指ほどの緑色の蛇で、
畑にいて人を噛む悪い蛇」と身ぶり手ぶりを交えて話してくれる。
普通の黒い蛇は“ウメケ”と呼び分けられている。

「どうして悪い蛇を身につけるの?」と尋ねると「ただの呼び名だよ」と。
“ニティ サオ”のありのままの由来はすでに消滅してしまっているよう。

蛇は古くから良くも悪くも無視できない存在として人間と深く係わってきた。
手も足もないクネクネと長い様相や脱皮などの特殊な生態はさまざまなビジョンを呼び起こす。
信仰や魔よけとして崇められ、時に不吉で忌むべきものとして人間界に登場する。
糸・紐・髪・・・長くて細いモノに憑かれやすいわたしの腕には、
もちろん“銀の緑蛇”が巻きついている。



Colume No.014/2008.11 [イカット・IKAT]


イカット・IKATという言葉は、
マレー語で括る・結ぶを
意味する。
絣の技法はたて糸やよこ糸、
またはたて・よこの両方の糸を、
糸の段階で括り防染することで文様を描いてゆく。
括りの作業が絣を象徴し、
西洋にはこのような染織技法がなかったことで、
マレー語のカット・IKATが転用され、
絣織物の総称として呼ばれるようになった。

インドネシア語はインドネシアがオランダからの独立時に、マレー語の一方言を国の公用語としたもので、
赤道をまたぐ1万7,500の島々には独自の言語を持った民族が暮らしている。

ティモール島の主要民族アトニ族のダワン語ではこの絣の技法をフゥトゥスと言い、
これは技法そのものを指す言葉で、布の用途によって名称は異なる。
アマヌバン、アマナトゥン地方では男性用の腰布を“マウ”女性用の腰衣はタイス。
モロ、アンフォアン地方では男性用は“ベティ”と同じダワン語でも地域で呼び方は変わってくる。
男性用の腰布で絣織りの人型文様(写真の模様)は“マウ フゥト アトニ”(アトニは男を意味する)となる。
伝統的な染織品は必然性を持ち、名前で細かく分類される。
すべては異なったモノ。

織物を紹介するとき、わたしはイカット・IKATの言葉は使わないようにしている。
実際、現地でイカット・IKATと言ってみてもさっぱり通じない・・・・・。


Colume No.013 /2008.10 [くもの網]


船曳和代 くもの網 より
INAXギャラリーで開催されている「くもの網 展」

壁面に一杯に小さな宇宙が広がる。
これらはすべてくもの網の標本で、
青・黒の台紙の上に白く染められた実物大のくもの網が見事な造形を成している。
日本では一般的にくもの巣と呼ばれているが、
これは巣ではなく獲物を捕獲するための網で、
くもは糸という材料を人間より早い時期から用い、
網という道具を上手く利用して生活をしてきた。

くも、そして標本を制作された船曳和代さんと
INAXギャラリーに感謝。

「世界を織り上げたくも・・・・」古代の言い伝えが蘇える。


Colume No.012 /2007.09 [インカのキプ]


「インカ マヤ アステカ展」より キプ/インカ文明/ラルコ博物館

上野の国立科学博物館で9月24日まで開催していた「インカ マヤ アステカ展」。

広げて壁に展示されたキプの先端の、解けた紐先にインカの人々の指の感触を感じた。
紐は木綿を紡いだものを撚り合わせ、必要な場所に結び目が施されている。
糸の紡ぎ、撚りの太さ、紐の長さにはバラツキがあり、糸の色も白・生成り・茶・藍・緑と染め分けてある。
キプはケチュア語で結び目を意味し、この結び目は数・量を記録するためのものであり、
人口・トウモロコシ・ジャガイモ・家畜や織物の数などを対象にしていた。
一定の法則によって結ばれ、色分けされた紐の記号的な美からは、
インカの人々の糸に対する繊細な感覚と尊敬がうかがえ、
呪術的なまでな偉業を残した織物制作の精神と通じるのも確かなこと。

ペルー綿の起源は紀元前26世紀年ころまで遡り、それは旧大陸のインド綿の起源と相当する。
綿は旧新両大陸で独立して作物化され、インドでは木綿は染色技術と共に、、
ペルーでは織りの技術と共に発達した。

一本の紐を結ぶその先には、一枚の布が大きく拡げられる。


Colume No.011/2007.09 [紡ぐ]
糸を紡ぐ行為は古代から創造のイメージと深く結びついている。
何もない無の世界から糸がスルスルと紡ぎだされ、
その糸口を見つけ出したことによって、
人類はどんどんとイメージを拡大していった。
紡がれた細い糸は撚り合わされることで紐になり、
紐は単純にモノを結んだりすることから始まり、
他のモノと組み合わせで新しい道具になる。
紐は綱になり、網になり、編みになり、織りになる。
糸の発見は創意工夫と知恵をどんどん引き出してくれた。
そして糸はまだまだ次の可能性を持っている。
人類はこれからどんな未来を紡ぎ,引き出してゆくのであろう。
ティモールではこの創造的な糸紡ぎをする女たちをまだまだ見かける。
それは家族の布を織るためであるけれど、
傍から見ていてもあまりにも単調で手間の掛かる紡ぎは骨の折れる仕事だ。
当の本人に聞いても「疲れる」「大変」と言葉が返ってくる。
機械紡績糸は市場でいくらでも調達できるのに、それでも女たちは糸を紡ぐ。
糸を紡ぐ女たちの視線は糸を追っているようで、どこか宙を見つめているようでもあり、
その表情は穏やかで、話しかければ返事もするし、周囲の様子にも目を配っている。
そして、高速で回転する紡錘と共に瞑想状態にあるようにも見える。女たちは違う波動を出している。
糸を紡ぐことで新しいイメージの泉を見ている。


Colume No.010/2007.05 [人型]
布の旅に出掛けるときは必ず本を一冊携帯する。本は一冊でなくてはならず、2冊はいけない。
2冊だと本の威力が半減してしまうから。
この一冊の本は、旅に方向性を持たせ、出会いや発見を引き寄せてくれることになるので
選ぶときは結構慎重になる。
早いうちに全部読み終え、何度も何度も気になるところを読み返すこともあれば、
さっぱり進まないときもある。
夜になると星を見上げるか、目を瞑るしかないこともよくあるから。
今回携帯した本は、以前から本棚に置いたきりでいつもタイトルを眺めていたメキシコ マヤ文化の神話「ポポル・ブフ」。
どのように天と地が分けられ、どのように人が作られたのか・・・・・・
メキシコの風土が語る壮大な神話は、
まだまだ神話に近いところで生活をしていると思えることの多いティモール島との接点に気づかせてくれる。

ユーモアー溢れる不思議な神々が次々に現れる。
創造主たちは人を創造することを試み木で人形を作り始める。
これは人形ではではなくもちろん人形=人
ティモールには人型の文様や立体彫刻がある。
とても人には見えないような歪な形でも、
聞けば「マヌシア(人)」と答える。
それは神とか仏ではなくマヌシア=人なのだ。
なぜこれほどまでに人型に執着するのかいつもいつも考えていた。
神が人を木で作る、人が人を木で作る、人が神を木で作る・・・・。
もしかして、ティモールの人々のなかには人と神をきっちり分けた正確なラインはないのかも?

すでにキリスト教に改宗している彼らにとり、神はジーザスただひとりであり、
それ以前に信仰していた原始宗教の神々には神という概念とは違うもっと身近な存在を感じているのかも。
人型=人を作ることはどういうことだろうか?
姿はないけれど存在する目に見えない人。
今ここに自分がいるのは人々が生きてきた痕跡でそれを祖先と呼ぶのなら・・・。
彼らの祖先に対する意識は、わたしが思う祖先との距離とは随分ちがうようでとても近くに存在している・・・。
祖先=人、それは彼らが最初に創造された時間と空間のことを意味しているのか。
「ポポル・ブフ」は隠されたヒミツを少しだけ教えてくれた。この先には何があるのだろう。
もっともっとヒミツを知りたい。終わりのない旅はまだまだ続く。


Colume No.009/2007.01
 [ワニのお話・1]
〈20061222)
ティモール島の織物の代表的な文様のひとつに“ワニ”がある。
このワニにまつわるお話は村でも町でもあちらこちらで聞くことができる。

アマヌバンの王、クサ・ノぺの3番目の妻、マルセリーナ・ノぺは子供のころに見聞きした
不思議なワニのお話をしてくれる。
マルセリーナ・ノぺは北アマヌバンのぺネウタラ村の出身でミサ・ニッタバニの娘として生まれた。
ミサ・ニッタバニの兄、ニッキ・ニッタバニはぺネウタラ村の王で、この王は多くの妻を持っていた。
そしてその中の2番目の妻はワニの妻だったと。
王の家の近くには大きな河が流れ、河には“マレナット”と呼ばれる少し狭くなった場所があり、
そこには大きな石があった。
王はワニの妻が恋しくなると、古い高価なお皿にビンロウジュ、キンマ、タバコや食べ物を用意して、
河の渕で祈ったという。するとワニの妻は大きな石の陰から顔を出し、ニッキ・ニッタバニを迎えた。
そして用意された食べ物を持って河へ帰って行ったと・・・・・・。
王はワニの妻に水牛を与えてくれるように頼み、ワニの妻は柵一杯の水牛を与えたという。
このワニの妻には大きな白い乳があり、
とても魅力的だったそうな。

王、ニッキ・ニッタバニは40年程前に亡くなり、
彼がいなくなると、牛もすべていなくなった。
ワニの妻との間に子供はなかったが、
「もしかしたら河の中にいるのかもね、きっといまではワニの男性と結婚して幸せになってるのでは」と、
マルセリーナ・ノぺは話してくれる。
人間と動物の結婚・・・。

織物に見られるワニの文様には
こんなお話が隠されているのです。


Colume No.008/2006.12 [ 機]
機織りをするサウの横に座り込み、飽きることなくいつまでもその仕事を眺めている。
藍・茜・黄に染めた、手紡ぎ木綿糸を機に掛け、
土地の言葉で“ソティス”と呼ばれる経紋織りの織物を織っている。
高い椰子の木が大きく影を落とすお気に入りの場所で、大地に茣蓙を敷き足を投げ出して織りをする。
機は一方を木に括りつけ、もう一方を自分の腰に回した腰帯で全体を支えてる。

サウは20代後半の大きな瞳をしたとても物静かな女性。
話をするときも、ささやくような声でゆっくりと話し、水汲みや畑仕事の労働もとても優雅で、
機を織る彼女の姿は堂々と、ゆったりとしている。

右からよこ糸を通し、刀杼を入れてよこ糸を打ち整え、今度は左からよこ糸を通し、
刀杼を入れてよこ糸打ち整える。
よこ糸を打つ刀杼の音は、木々や風や鳥のさえずりと溶け合い、村中に緩やかに響く。
たて糸のコンデションは腰帯から腰で感じているようで、目と手はよこ糸を通す作業に集中している。
両足はたて糸、よこ糸の両方に注意をかけているよう。
一人の織手の体がばらばらに機能し、その一連の動作の繰り返しが機になり織りになる。
彼女の呼吸、鼓動、感覚、感情のすべてが糸に、機に注がれる。
ティモールで日常的に見られる織りの風景は
非日常的な行為なのかも。
機に向かう女たちの周りには少し違う時間が
流れているような感じ。

継承される文様を昔から変わらない伝統的な機を用い,
今もなお織り続けることは、
民族の源流を遡る旅の時間を意味するのかも知れない。
機は彼女たちと祖先を結ぶ仲介の役割を持っているのかも?
サウの手と体はなんの迷いもためらいもなく織り続けてゆく。

機の傍はとても気持ちよくいつまでも座り込んでいたい。
織女たちを通じて、いにしえの波動が伝わってくるような・・・・。
きっと、サウはそのことを知っているのでしょう。


Colume No.007/2006.11 [ 石]
ティモールの地名には、“石”のつく場所や村があちこちにあります。
ファト・ムティは白い石、ファト・ムナシは古い石、ファト・レウは薬の石、ファト・ウランは雨の石・・・とこれらはすべて土地の名前を現しています。そしてこの地名からも分かるようにこの島は石だらけの島なのです。
西ティモール島のクパンの町から、東ティモールのデリーへと続く幹線道路に従って東に進んでゆくと、
クパン県から南・中ティモール県の県境に、ノエ・ミナと呼ばれる河が流れています。
河を越え南・中ティモール県に入ったところはファト・ムティ=白い石。
この場所をバスで通り過ぎるたびに、きっとどこかに“白い石”白い巨大な石があるのだと信じているわたしは
バスに乗り合わせた隣人にいつも同じ質問を繰り返しています。「白い石はどこにあるのですか?」
誰に聞いても素気ない返事で「只の地名ですよ」と。
一体、これらの美しい地名はどこから来たのでしょうか・・・。

この非火山の島は、石灰石と砂岩、そして頁岩のような強く変形した堆積岩から構成されています。
島のところどころには奇妙な形をした巨大な岩山が突出し、それらもまた不思議な名前で呼ばれ人々の信仰の対象になっていることも多くあります。

ある日の午後、アユップの家に居るところに同じ村のユサが重そうな荷物を大切に抱えて、興奮気味にやってきました。
「すごいモノを見つけた・・・」と一言。
アユップも私も一体何が入っているのかと興味で一杯です。
ユサはもったいぶり、なかなか荷を解こうとはしません。
そしてやっぱり見せれないよといつまでも渋っているのです。
ようやく姿を現したのは“石”でした。高さ30cmほどの歪な三角形をした石灰石。
川原で見つけたこの石にユサは何か力を感じるらしく、
「ここに顔、そして片足が壊れているから安定が悪いけど、これは古くてすごい石像さ」と
意気揚々と語ります。
アユップと私にはどのように見ても石灰石にしか見えないのですが・・・・。
ユサはやっぱり見せなければ良かったと文句をいい、目のある人にしかこのよさは分からないと、石像を包みなおしその場を去ってゆきました。

その後ユサはどうしたかと言うと、バスに乗り、石像を大切に膝の上に置き、3時間以上の道のりをクパンに向かったといいます。そして同じ道のりを石像を大切に抱え村に帰ってきたのです。
その石像は今どうしているのでしょう・・・・。
考えてみると、ちょっとアンバランスな形、石灰石のブツブツした表面・・・の奇妙な石には何かあったかも・・・
川原の石に沸き立つような驚きを発見したユサはひょっとして、33年間一人で石を積み上げ理想宮を築いたフランスの郵便配達人シュバルと同じ思いを石に見たのかも知れない。


Colume No.006/2006.10 [ トウモロコシ]
村で過ごす時は、本当にスッポリと丸ごと村にお世話になってしまいます。
もともと日本を出発するときの荷物なども、すっかり背中になじんだ接ぎだらけの
亀さんリュックだけなのですから。このリュックとも随分長いお付き合いになりました。
毎回変わらぬスタイルの私に「さすが、日本のものは長持ちするね」と褒められたりもして。
ホントみんな良く見てること。でもそんな村の人たちもいつも同じスタイルで迎えてくれます。
「ハイ、お土産」と衣類を渡しても一向に着てる気配はなく、
気に入らないのかしらと思い一度尋ねたことがありました。
返事はとても簡単「今のまだ着れるから」と。その通りですネ。

村のちょっとした情報人のミサの家は、何年か前の強風で家が倒れてしまい、今でもその時緊急に立てた簡素な藁葺き家にミサと奥さん、娘3人と一番したの男の子の6人で住んでいます。
普段から人の出入りが多いこの家は、日中は家の前に椅子を並べたり、茣蓙を引いたりして客人をもてなし、
台所では母と娘たちが忙しくお茶の用意をしたり、食事時であればすべての人に食事が振舞われます。
遠いところから来ているらしい私に「ブカエ(ティモール語の食事の意)」と最初に声が掛かります。
家の隅に置かれているテーブルの上には、ご飯・青菜炒めとスパイスのチリが並び、ガラスの皿と金属のスプーンが準備されています。皿にご飯と青菜炒めをよそいチリを少々かけて、もとの席に付き皆にいただきますを言って食事をします。。
まずは私が皿を取らなくてはなりません。
よその国からの客人に対する彼らの気持ちからで、
そうしないと他の人々は食事が出来ないのです。
私のよそった後には、ジャゴンボセと呼ばれるティモールのトウモロコシ料理がテーブルに並びました。
白い米はいつも特別に炊いてくれているのです。
「みんなと同じモノでいいのに」と思いながら、ミサの気持ちに素直に感謝します。このあたりの山間部では稲作は出来ず、米は市場などで買わなくてはなりません。
米があることはミサの家のステータスでもあるのですから。

ティモール人の一般的な主食はトウモロコシです。
ジャゴンボセはトウモロコシの実を杵で搗き、柔らかくなった粒にパパイヤの葉・花・豆など加えて一時間ほど煮込んだ、トウモロコシ粥のような感じでしょうか。
トウモロコシの実は芋のようにホクホクとし、パパイヤの花は少し苦味がありこれが
マラリアに効くと言われています。
特に味付けはなく、食べるときに塩・チリを好みによって加えます
「これが伝統的なティモールの食事だよ。ジャゴンボセは腹持ちがいいけど白いご飯はすぐにお腹がすく、
ティモール人はこれを一杯食べるんだよ、だから力もでるし沢山働ける」
一杯目を食べ終わった私に皆がもっと食べろとお代わりを勧めてくれる。
ティモールのしきたり従い2杯目をお代わりしなくてはなりません。
私もジャゴンボセをよそい、人々も続きます。
食事はとても静かな時間の中で行われます。食べることに集中しそのエネルギーのすべてを力に変えようとするかような真剣さが感じられます。生命を維持するために限られたものを必要な分だけ食べる・・・・。
乾季も終わり間近の10月は水の状態も厳しく、貯蔵のトウモロコシもそろそろ底を付きてきています。
自然に従って生きる人々にとっては辛抱の季節でもあり、第一日目の雨を待ち望みカラカラに乾いた畑を掘り起こし、種蒔きの準備を始める希望の季節でもあります。
彼らの伝統的な生活サイクルに合わせて、私は与えられるがままにいつもスッポリお世話になっています。
 
Colume No.005/2006.7 [ 火]

7月のティモールはとても寒い。特にモロ・アマヌバン・アマナトゥン地域の山間部は太陽が沈むと気温は
一気に下がり、南東に位置したオーストラリアから冷たい冬の風が流れ込んでくる。
村人たちは布を頭や肩や腰に纏い寒さを防ぎ、そして今年は雨季がおわったのにもかかわらず、
いつまでも雨が続いてた。
毎週火曜日はアマナトゥンのオエンラシで定期市の立つ日。
アマントゥン最大の市で朝から多くの人とモノで賑わい、道を通れないほど・・・・・
そしてなんと言っても市での楽しみは、知り合いの顔を見つけること。
みんなのびっくりする顔や嬉しそうな顔に出会うと、とても幸せな気持ちになる。帰ってきたって感じ。
家族のこと、健康のことなど言葉を交わし、会うごとにみんなくっついて来るのでいつの間にか大人数でぞろぞろと歩くことになってしう。
今日の市が終わるころには、そして2、3日のうちにはわたしが再びティモールに来ていることが山奥の村々まで素早くゆきわたってく。
市はニュースステイションでもあるから。

オエンラシを訪れた日はいつも知人のミサの家で過ごす。
この晩わたしは夜の寒さを避けるために、ルマ・ダップルで寝ることを希望する。
ルマ・ダップルは台所のことで、部屋の中央には料理の煮炊きのための石を3つ並べた囲炉裏があり、
湯の沸いた鍋が掛けられている。
家の人々も乾季である冬の季節はルマ・ダップルの土間に椰子の茣蓙を敷き眠る。

部屋は隅々まで煤で炙られ磨かれたように輝く。
わたしは一段高くなった板の上に茣蓙を引き、布に包まり横になる。
「体痛くない」と心配して声を掛けてくれる17歳の長女に、わたしも同じ質問を返すと、
「いつものこと」、「わたしもよ、台所は暖かくていいわ」

チラチラと揺れる炎、部屋の中央に火を見るなんて。
それも大地から立ち上がる火を・・・。
炎は体を暖め、幸福な喜びも与えてくれる。
火はいつの時代のどんな場所でも変わらず燃え続け、
人々は火から多くの恩恵を受け、
火のエネルギーに時には神を見出し、
またすべてを焼き尽くす火に恐れも抱く。
部屋の中央で火を見るなんて。
それも大地から立ち上がる火を・・・。
火の存在が意識の中に大きく流れ込んでくる。

炎の先から細い煙が上がり、流動的な動きをしている。窓のない部屋にどこからか風が流れている。
小さな男の子は母に抱かれ、すっかり眠っているようす。
娘たちはひそひそと今日の市での出来事を話しているようで、時折静かな笑いが部屋を満たしす。
まだまだ理解できないティモール語の響きはふぁふぁと軽く、音楽のように心地よい。
火を見つめている。燃える炎を・・・・。
火を見つめながらゆっくりと夢の中に進んでゆく。日が昇る時間まで。


Colume No.004/2006.4 [ 藍甕]

歩いていると「美しい」風景に出会う。
熱帯の陽射しを避けた軒下に、大小20固近い藍甕がひっそりと並んでいた。
みな植物を絡めて作った座布団を敷き、ココナッツの殻の蓋をしている。
素焼のレンガ色だったはずの甕はすっかり藍色に染まり、藍の零れた筋は文様のように
それぞれの甕を飾っている。長い時間ここで大切に守られていることは、場所の空気から伝わってくる。
これほどの藍甕の持ち主、さぞかしの染めの達人であることだろう。

藍甕の形は首のあるものもあればないものもあり、丸もあれば少し潰れたような形もある。
容量はそれほどでもなく、大きなものでも特大のスイカぐらいで、小さなものはメロンぐらいと、
「こんな小さな甕で染めるの」と思うほど大きくはない。
ココナッツの蓋を開き、甕を覗くとひなびた藍の香が漂い、なかには生葉を浸してある甕もあったり。

ティモールの藍は豆科のインド藍で、村の畑のあちらこちらにチョコチョコと自生している。
甕に水を張り藍の葉を入れて2日ほど置き、葉を取り出し、石灰石を手のひら一杯分加えてかき混ぜると
水がドンドン黒くなって、藍の花が咲く。

こじんまりとした藍甕で染めがすんでしまうのは、ティモールの織物が経絣で糸の状態で染織することも理由の一つだけれど、伝統でもありけして変えることのない彼女たちのやり方でもある。
そして藍染めは男たちの立ち入ることの出来ない、女だけの神聖な領域。

模様を括った経糸を藍甕に浸し、ゆっくりと優しく手で揉むと糸はうっすらと色付いてゆく。小さな藍甕では一遍に染めるだけの十分な力はないので、
5個の藍甕に順々に浸け変え一回の染めを終える。
糸をさばいて乾かし、日を変えてこれを3〜5回繰り返す。

藍を染める女たちの右手は、色の落ちる暇なく藍色に染まっている。
手を青く染め、誇らしげに歩く女たちのいる風景をやはり美しいと感じる。


Colume No.003/2006.2 [ つなぎ目 ]

布を触りだすと別の時間にスリップしてしまう。Webの写真撮影の時にさえ、「今日こそはテキパキと」と自分に言い聞かせながらも、こんな魅力的な“つなぎ目”に目が止まると、手も止まり、気持ちがスルッとつなぎ目の間に滑り込んでしまう。‘コウリツテキ・ノウリツテキ・ジムテキ・・・’と唱えたおまじないもやはり効き目はなかった。

この写真は英語ではサロン(Salong)、アトニ人のダワン語ではタイスと呼ばれる女性用腰衣の部分で、通常2枚から4枚の布を縫い合わせ筒状に仕立て着用する。
布を縫い合わせる方法はいろいろある。普通にS字に掬ったり、鶏の足のように糸を掛けたり。
ほつれないようしっかり縫うことは前提だけど、そこに「美」のための手間や時間が加わると“つなぎ目”はただの“つなぎ目”ではなく、心をも繋ぎ止める。
2枚の布を突き合わせた丁度藍地のところに白糸を交差し縫い合わせ、中央に通した赤い糸が小さなポイントになっている。誰かに褒めてもらいたいとか、見せびらかしたいとか、対外的にこびた仕事ではなく、
自分の内部の喜びに突き動かされた仕事だと思うと余計嬉しくなる。

自分のため、それとももしかしたら嫁ぐ娘のための幸せや健康を
一心に祈り織られ、固く美しく繋ぎあわされたのかも・・・・・。
言葉を掛けたり交わしたり、思いを告げることも必要だけど、
すべてを託した一枚の布に、コ・ト・バの入る隙はないような。
手が産むモノは、時に言葉以上の力を与えてくれる。
モノの細部にはそんな大切なことが一杯秘められている。

つなぎ目に引き込まれ随分と遠くにきてしまったようです。
さてさて、現実に戻り心の入った仕事をいたしましょう。
いつもこんなふうに更新が遅れてしまいます。
   



日本語の「絣」の語源は模様がカスレてることから絣という名前が付いたとか。
インドネシア語の絣を意味する「イカット」はマレー語の結ぶと言う意味です。
この「絣」「イカット」と呼ばれる織物は、たて糸やよこ糸に、別の繊維を使い模様を結んで行く技法で、たて糸に模様を結ぶのを経絣、緯糸に模様を結ぶのを緯絣、たてよこ共に結ぶのを経緯絣と言います。この結ぶと云う言い方も、実際の作業を示すには「括り」をすると表現します。

インドネシアのヌサ・テンガラ諸島では経絣が中心に行われます。整経した糸に、いきなり括りをしていきます。伝承される模様は体が記憶し、手が勝手に動いていくようで、鉤紋、鶏、ワニなどの文様がスイスイと描かれてゆきます。括りには椰子の葉を乾燥させ、3ミリぐらいに細く裂いた紐をつかいます。が・・・最近は色とりどりのピンクやブルーのナイロンテープが主役に踊りでています。
女たちは口をそろえて言います。「紡ぎの仕事よりも織りの仕事よりも、括りの仕事が一番難しいと」。結び方が緩いと、染料に浸したとき結び目から染料が染み込み、模様が滲んで消えてしまいます。インドネシア語の「イカット」が“結ぶ”を意味することや、「絣」が“カスレ”から来ていることからも、なるほどとうなずけます。


・・・結んで開いて結んで開いて、開いた跡が模様になる・・・。
熟練した女たちは今でも好んで椰子の紐で結びます。
年を取り、目の悪くなったママべンデリナは、たて糸と枯れた椰子の色の区別がつかないと、椰子の紐を藍で染めていました。藍色の椰子の紐で括られたたて糸は、もうそれだけで充分美しく、一つひとつに思いのこもった仕事が素晴らしい織物を作り出し、完成された織物はその過程の結果であることを教えてくれます。
模様を結ぶ結び目には、模様だけではなく、女たちの願いや祈りも一緒に結びこまれているような・・・。





大切な道具には必ず名前があります。
この木の紡錘の名前は“イケ”。そしてこのココナッツの小さな皿は“スティ”
最近では割れたお皿のかけらなども使われていますがやっぱりスティはココナッツの殻が一番です。

左手には綿を持ち、右手ではイケを持つ。
イケをスティの上でクルクルまわすと
ふぁふぁの頼りない綿が一本のしっかりと
した糸になってゆきます。
スティの上ですごい勢いで回転するイケ、
その回転の速さと同じスピードでどんどんと
糸が紡がれてゆきます。
独楽のような錘もなく、棒状の一部がちょっと
膨らんでいるだけの木が、どうしてこんなによくまわるのか?


それはこの木の棒が木の中心から作られているからです。
若い木ではダメ。柔らかい木もダメ。固くて丈夫な木の真ん中の芯の部分から作るのです。一本の木が地面に対して真直ぐに、年輪を重ねて伸びていくように、その中心から作られたイケは木の中にいた時と同じ用に回転を繰り返すのです。イケは織物の糸を紡ぐための大切な道具です。機織りはすべて女の仕事ですが、このイケを作るのは男の仕事とか。

このお話を聞いて、一本譲ってもらったあとに「また作ってあげるよ」とお父さんがお母さんに話かけていました。「イケとスティ」のように、ふたつでひとつです。